お侍様 小劇場

    “お父さんと一緒vv(お侍 番外編 13)
 


 春は名のみと言っていたものが、それでもさすがに寒の頃を過ぎ、彼岸が間近い頃合いともなると。氷雨が暖かな雨へと代わり、あちこちからも水仙や梅、菜の花、桃に沈丁花などなどと、様々な花の便りが聞こえ出し。間断無くも寄せては返す波が、少しずつ少しずつ浜辺へ真砂を運んで来るかのように。いたずらな東風が吹くごとに、春の気配や息吹とやら、そぉっと置いてく時期へと入ったらしくって。
「今日も暖かそうではありますが、あんまりいいお天気じゃあないので、お洗濯は辞めときました。」
 朝食で使った食器を片付けがてら、別のお支度を手際良くも整えていた、島田さんチのおっ母様こと七郎次さん。はがきほどの大きさのメモへ、何やら書き付けるとマグネットで冷蔵庫の扉にそれを貼りつけて、
「お昼の御膳は冷凍庫からピラフか御飯を出して解凍して、それとキンメダイの煮たのと、フキと厚揚げを煮たのとを冷蔵庫に入れておきますから、どちらも温めて食べて下さいませね?」
 お汁ものは風味が落ちてすみませんが、コンロに置きました片手鍋の澄まし汁を温め直して下さいと、一応はメモ書きしたらしいそれら、直接のじかにも説明する彼であり。無論のこと、片手間な会話なんかじゃありませぬ。リビングにおわす御主・勘兵衛様へ、その御前まで進み出て、ラグの上とはいえ床に膝つきという姿勢での丁寧な言上をするところは、お行儀や作法のレベルを越えているかもで。
「ああ。判った。」
 そんなご報告をされた方こそ、少々大仰が過ぎまいかと鼻白らんでおいでなくらい。何でまた朝っぱらから、それも最も寛いでいい筈の我が家にて、こんな堅苦しいやり取りになっている彼らなのかと言えば、

 「儂らの世話はもう良いから。それよりお主の方はそのままの成りでもいいのか?」
 「あ…ええ、はい。それでは…。」

 スムースジャージに木綿のトレーナーを重ね、下は着ならした綿パンという、普段着もいいところの家着でいた七郎次さん。ではお言葉に甘えてと、立ち上がって奥の間へ向かったのは着替えるためであり。
「…。」
 それを見送る次男坊の久蔵さんまでという“全員”がお顔を揃えておいでの島田さんチだが、働き者なおっ母様、実はこれからお出掛けなのだ。年に数回あるかなしか、どうしても彼が向かわねばならぬ種の、よんどころのない事情あってのお出掛けであり。それでも、勘兵衛様が会社で久蔵殿が学校というのであれば、ただ単に家を空っぽの留守にするだけで、さしたる問題はないのだが。

  ―― 今日に限っては…ちっとばかり事情が違う。

 平日でありながら、あとの二人が家にいる日だったりしたものだから。七郎次おっ母様、いつにも増してのぱたぱたとお忙しげなのである。勘兵衛様は普通一般の休日にこそ休めないのがセオリーなお勤めだから、ままこういうこともあり得たが。そこへ加えて、久蔵殿もまた、通っておいでの高校が、中学生たちを迎えての入学試験を執り行うため、それが部活のためであれ出入り厳禁となったとか。二人とも小さな小さな幼子じゃあなし、お留守番くらいこなせよう。掃除や洗濯といった家事のほうは一日くらいお休みにしたって支障はなかろうし、彼らの食事にしたって、何となれば店屋物でも取れば済むことなのだけれど。

 “だって、居残るのが あのお二人ですからねぇ。”

 ここに住まわることとなってから はや十年近くが経とうというのに、いまだに日頃使いのお茶っ葉と急須の収納場所を知らないまんまな勘兵衛と。彼が居るのに七郎次が不在だったという日を、そういえば思い出せないその上に、学校や部活関係の事情ででもない限り、自発的にお出掛けすることがないという、掟破りの高校生。今日も勿論、どこへか出掛ける予定は一切ないらしい久蔵…という組み合わせ。何不自由なく揃っている自宅に居ながら、物資不足からの遭難だってしかねぬ恐れも大有りの、最凶タッグが図らずも生まれてしまった訳であり。
“いや、それは言い過ぎでは…。”
 そうと反駁しつつも、心ここにあらずなお人は黙ってらっしゃい。
“〜〜〜。”
 この事態を前にして、それでなくとも世話好きで、引っ繰り返せば 人へ手をかけるのがもはや生きがいなんじゃないかという七郎次が落ち着いていられる筈もなく。

 『あのお二人が、一般生活が覚束無い人になったのは、
  シチさんの甘やかしのせいでもあるんじゃないんでしょうか。』

 いつぞや平八から言われたことをつらつらと思い出しもしたけれど、だからといって今の今からでは手の打ちようもなく。あああ、せめて何日か前に判っていればなあ。雪乃さんに来てもらうとか、何か手を打ちも出来たのにと、やっぱり過保護な手配しか浮かばぬおっ母様、
「ええと、カードが使えないような、何かお金が要りようなことが起きましたら、寝室の枕灯を置いてる脇卓の引き出しの、茶封筒のを使って下さいませね? それから回覧板が、普段はヘイさんからなんですが、逆の○○さんから回って来ましたら、その旨を付け足してゴロさんチへ回して下さい。えと、それから…。」
 何か言い忘れていることはないかしら、自分は無意識にこなしていることでも、彼らには慣れないことや知らないことが、まだまだ たんとあるかもしれないと。懸命に思い出そうとしているのへと、
「…シチ。」
 いい加減にしないと遅れるよと、選りにも選って久蔵が促しているほどなのだから推して知るべし。置いてかないでと甘える隙さえ与えない落ち着きのなさってのは、考えようによっては怪我の功名だったかも知れずで。髪も梳いての、いで立ちもお出掛け用。堅苦しくはないデザインながら、それでもスーツとスプリングコートというお支度を整えておいでだってのに、まだまだ家人を前に言いつのってる心配性。そうまでアテにならぬかと、ムッとするより何倍も、そこまで人のことばかりを思う彼へ、しようのない奴だと苦笑を浮かべるしかない勘兵衛様も、ついには口を開かれて、
「ほれ。いい加減にせんと、久蔵が手を引いて駅まで送ると言い出しかねんぞ?」
 それとも儂が駅まで車を出そうか? そこまで言われては形勢も逆転。世話を焼かれては本末転倒と、さすがに我に返れたものか、

 「それでは、行って参ります。」

 後ろ髪を引かれつつも、やっとのことで玄関へと向かい、そのまま名残り惜しげに出掛けて行くまで…正味10分以上はかかっただろか。やれやれと振り返れば、だが留守番の相棒の姿は何処にもなくて。おやと思う勘兵衛様の頭上で、からりと窓を開ける音がしたのは、二階へ駆け上がった誰かさんの立てた物音に違いなく。早よう行けと促しはしたものの、やっぱり母御が恋しいと後ろ姿を見送ってるらしく。

 “…これではの。”

 ああまで案じられても仕方がないかと、家人らの困った相性を、それでも愛らしいことよと擽ったくも受け止めて。くつくつと喉を鳴らしつつ、苦笑ってしまわれる御主だったそうでございます。





  ◇  ◇  ◇



 さて。くどいようだが、この二人はいるのにおっ母様がいない島田さんチというのは、これまでそうそう例がない。七郎次さんも、日々のお買い物の他にも、町内会の行事としての掃除だの下校時のパトロールだのに参加したり、知り合いのお年寄りのお家の大掃除や模様替えなどのお手伝いに向かったり、結構お出掛けはなさっているが、それらはこの二人もまた家に居ない間の話であって。彼らが不自由なく過ごせることこそが究極の至福でもあるという、利他的な滅私奉公をまったく苦にしない、褒められこそすれ窮することはなかろう筈の素晴らしき人性が、こんな形で仇となろうとは…まったくもって人生って判らない。
(おいおい) とはいえ、これまたくどいようだが、たかだか平日のお留守番。親戚一同が大挙してやって来るだの、高価で大切なお買い物をしたものが届く予定だの、そういった特別な日だってこともなく。様々な集金は銀行振り込みにしているし、万が一にも押し売りという名の強引な訪問販売がやって来たとて、渉外交渉にかけてのプロと、語彙少なくて手にあまり、かといって強引な長っ尻などなどで怒らせれば不法行為には容赦はしないと木刀引っ提げて出て来そうな坊っちゃんとに、一体誰が太刀打ち出来ましょうか…と来て。案じる方がおかしいとばかり、本来だったら“無敵”と解釈する組み合わせなんですのにね。

 「…えっと。」

 それくらいなら出来るからと申し出かかった布団干しも、今日は何だか空模様が怪しいからと丁重に断られ、慣れぬ勝手に翻弄されることもなしのままに、早春の午前がゆったりと過ぎゆきて。読書でもしているものか、自分の部屋で静かにしている久蔵だとみて、自身も枕元へ積むばかりとなっていた文学書を数冊ほど手にすると、サンルームへ上がってゆき。定位置の長椅子に腰をかけ、座面へ脚を上げての少々自堕落にも身を延ばしてから、のんびりと活字を追うのへ没頭し。どのくらいか過ごしたところで、窓をとつとつと叩く気配に降雨だと気づき。干し出したものはないけれど、不用意にも窓を開けているところはなかったか、気になったのでと階下へ降りる。そういえばそろそろ正午でもあり、特に空腹でもなかったが、用意したものへ手をつけていないとそれはそれで案じる七郎次だと思い出し。キッチンへと向かって冷蔵庫の扉へ貼られた、手順のメモとやらを手にしていると、

 「久蔵?」

 空腹を感じたか、やはり降りて来たらしい次男坊がキッチンへ入って来た。手伝うつもりか、いやそれにしては、
「…。」
「? いかがした?」
 日頃からも無駄口は利かずの、至って寡黙なのは重々承知。だが、返事も愛想もない彼なのへ、日頃のそれとは空気が違うような気がすると。違いが判るところが、さすがは親代わり。何より、目を合わせないところがらしくない。疚しいことがあるとか気が引けてでもない限り、まずは相手の眸を見る子なだけに、
「久蔵?」
 不審を覚えてのぞき込めば、その目許が妙に浮いていての視線が泳いで落ち着かず。しかもその上、ふうと小さく溜息をついたものだから、

 「…っ。」

 はは〜んと察するのも容易いこと。メモを流しへ放り投げると、そのままその手を相手へ延ばし、

 「! 島田っ?!」
 「こういう時くらいは名前で呼ばぬか。」

 父と呼べとまでは言わぬがのと、間近になった精悍なお顔がやんわり笑う。どちらかといや痩躯だが、それでも一応の背丈はある身。だっていうのに、膝裏と背中へ渡された腕にて、ひょいと軽々抱え上げられていて。立っていたところからのこの扱いなのに、不意を突かれて目が回りはしなかったのは、あくまでも勘兵衛の手際が良かったことと、その腕や懐ろのすこぶるつきの安定感の良さのせい。それでも、
「何を突然…。」
 無体な真似をと、悪あがきを見せる久蔵の、白い額に暖かな感触が触れて。
「ほれやはり。熱があるではないか。」
「あ…。/////////
 道理で七郎次をやたら急かしていた訳だと、別なところへも想いが及ぶ勘兵衛であり。
「こんな身だというのを案じさせての、出掛ける予定を反故にさせてはなるまいぞと思うたな?」
 ああ、間近からの低いお声が心地いい。もしかしたら叱責の文言だろに、なのに優しくて暖かい。熱を計ってくれた唇も、いかにも男臭い所作仕草だってのに、いたわりや慈しみの籠もった触れ方が何とも暖かだったものだから、

 「ほれ。横になっていた方がいい。」

 二階に戻るぞ? それとも、階下の寝室の方が勝手は良いからそちらにするか? やさしいお声に陶然となりかかり、だがだがハッとすると二階がいいと小声で訴えて。そうかと応じての歩みを感じたと同時、気が抜けたものだろか、頼もしい肩へと頬を寄せるよにして凭れれば。壮年殿の豊かな蓬髪が頬に触れる。微熱に火照りかかっているところへの、ひやりとつややかな感触は気持ちよく、すりすりと熱をまぶすよに…見ようによっては甘えるように、頬をうにうに擦り寄せていると、

 「仔猫のようだの。」

 暗鳶色の和んだ眼差しがくすりと微笑った。言いようといい、甘い声音といい、久蔵が常にはないほど甘えかかっているように見てのもの。なのに…子供扱いとは思えずで。そおと囁かれたお声の低められた調子や掠れようが、妙に艶を帯びていて。内緒の秘めごとでも告げられたような気がしたせいだろか。

 「? いかがした?」
 「〜、〜、〜。(否、否、否)/////////

 ここに七郎次がいたならば、無自覚に罪なお方なのだからと窘めたその上で、その腕から久蔵を、そそくさと取り上げていたかも知れないほど。頬から耳朶からうなじから、血の気が上っての、さぁっと真っ赤になった次男坊なのを見下ろして、

 “いかん、熱が上がったか。”

 …もしかしてウチの勘兵衛様は、人との機微という次元においては もれなく方向音痴なのかも知れませぬ。




  ◇  ◇  ◇



 自室のベッドへと寝かしつけ、痛々しくも微熱に潤む朱瞳を見やりつつ。いつから具合が悪いのか、その経緯を訊いてみたれば、実は朝から軽い悪寒がしたのだそうで。
「大人しくしておれば収まると思うたか。」
「…。(頷)」
 ところが、雨催いの生暖かい湿気が災いしたものか、却って熱まで出て来てしまったらしく。
「布団に入っておればよかったものを。」
「〜。」
 そんなことをしておれば、日頃にはない態度だからと案じた勘兵衛が、どうしたものかと出先の七郎次へ連絡するのではないかと思ったらしく。何とも健気なお言いようへと、

 「このうつけが。」

 言いようは叱責だったが、その眼差しはやっぱり優しいまんま。ベッドの縁に腰掛けていた勘兵衛の、伸ばされた手が額へ届き。そのまま大きな手が、髪を掻き混ぜるよにくしゅくしゅしてくれるのが心地いい。少々だるそうにして居るだけのようで、念のためにと体温計でも熱を計ったが、平熱が低いらしいとしてもさしたる数値ではなかったのでとひとまずは安心し、
「とりあえず、買い置きの薬を飲んでおけ。」
「?」
「何処にあるか判るのかだと?」
 おや言いますね、久蔵殿。とはいえ、
「そうそう馬鹿にしたものではないぞ。」
 そんな言い方がありますかと、やはりシチさんがいたなら突っ込まれたに違いないお言いようをしてから、

 「仕事で持ち歩いておるシステム手帳のポケットに、
  風邪薬と熱さましと胃薬と、きっちり常備されておるからな。」
 「…っ☆」

 ふふんと鼻高々に仰せの勘兵衛様だが、それってもしかしてシチさんが手配してなさる代物なんじゃあ…。同じように感じたらしい久蔵殿が、それなのに威張る父上の大人げなさへだろう、
「〜〜〜。」
 む〜んと微妙な表情になったのへ、目許を細めるとくすくすと楽しげに笑ってしまわれる。案外と表情豊かな次男坊であることが、かあいいやら愛しいやら。こんな間近にそれを目にし、胸をくすぐる笑みが止めどなく沸いてしまって しようがない御主であるらしい。
「さて。どちらにしても腹に何か入れぬとな。」
 ひとしきり笑ってから、浅く腰掛けていた寝台から立ち上がり、しばし待っておれと言い置いて部屋から出て行った勘兵衛で。そういえば出掛けに七郎次があれこれと言い置いて行ったのを久蔵も聞いており、その中から湯漬けでも作ってくれるのかなと想いが至り。先程やんわりと掻き回された前髪の先など摘まんで、ぼんやりと時を数えようとしたものの、

 「…。」

 独り寝だってして居るはずが、どうしてだろか、落ち着けない。空気の流れも寒かろと思うてか、ドアを閉ざして降りていった勘兵衛だったので。階下の物音もかすかにしか届かなくって。それが何だか、途轍もなくの遠くへ引き離されてしまったような気がしてしまい、

 「〜〜〜。」

 あれれ、何でだろ。背中がすぼみそうで、胸がしおれそうで、何でだか居たたまれない。出掛けた七郎次が遠ざかっていくのは何とか見送れたのにな。具合が悪いの、気がつかなかった良かったって、ホッとしたほどだったのにな。おでこや耳の先に触れた、勘兵衛の手の熱さ。こっちのほうが微熱があって熱かったはずなのに、今ここにないのが寒くてしょうがない。ひょいって抱っこしてくれた腕が背中に当たってた感触とか、こちらから頬をくっつけてた胸板の堅さだとか匂いだとか。此処にないのが寒くて寂しい。ああ、早く戻って来てと。さもないとこのまま、もっと遠のいてしまいそうで心許ないと。何でだろ、そんな気がして落ち着けない。何でだろ。シチの手のほうが柔らかいのに。シチの匂いのほうが優しいのに。シチだったら、何にも言わないうちから、してほしいこと判ってしまうのに。今朝だって、ちょっとだけ“戻って来て”と思う前から ちらとこちらを振り返ったシチだったのが、懸念されてはなるまいぞとドキドキしたけど嬉しくもあって。でもね、そのまま出掛けてってくれたのへ、安心しもした。それだのに…どうしてかなぁ。トンチンカンなことばっか言う島田なのにな。このまま意識が、どこかへ吸い込まれてく前に。早く、戻って来ないかなぁ………。






  「……ぞう。久蔵?」


 そのまま寝ておるかと。そんな声がした。うっそりと眸を開ければ、案じるような勘兵衛のお顔がこちらを覗き込んでおり。床へとじかに膝をつき、ベッドの縁へ肘をついてのずんと間近から、うたた寝していた久蔵の寝息を伺ってくれていたらしい。ああそうか、眠くなっただけなのか。それが無性に不安だったらしくって…でも、

 “何でだろ?”

 微熱のせいで気が弱っていたものか。小さい頃からあまり病いには縁がなかったから、勝手が判らなくての不安だったのかしらと、取り留めなく思っておれば、
「久蔵?」
 肉厚の暖かい手が頬へとあてがわれる。すべらかな感触を愛でるよに、ゆるく撫でての愛おしみ、
「眠いようなら寝ておるか?」
 薬よりも効き目はあるかも知れぬと思った勘兵衛なのか、無理に起こそうとはしない構えなのだろう。大きくて暖かい手のひらは何とも言えない安心感をくれて心地が良かったが、

  ―― くるくる・きゅきゅう…。

 小さな小さな、されど確かに不平を訴えるそれだろう、これ以上はないシュプレヒコールがしたのへと。勘兵衛と久蔵、双方の視線がかちあい、

 「…。/////////
 「善哉善哉。若いのだからしようがない。」

 食欲がないよりはいいと、身を起こしての立ち上がりつつ、やんわり微笑った勘兵衛が。傍らの机の上へと置いてあったらしい、昼餉の盆を手に戻って来。今度は先程の位置へと腰掛ける。盆の縁、底の側を軽く引っ掻くと かたんと脚が出る仕組みになっており。それを次男坊の痩躯にまたがせるようにして据えると、小さな土鍋か、ざらりと重たげな蓋を持ち上げる音がして。

 「あ…。」

 ふわり漂ったは芳しい香り。これが微かにしていたからこそ、我慢強いはずな腹の虫もおねだりしたのだと合点が行ったほど。馥郁と豊かな、滋味深き匂いがそこから広がってくる。

 「雑炊をな、作ってみたから食わぬか?」

 シチの料理に慣れておっては大した味でもなかろうが、腹に何か入れてからでないと、薬も飲めぬだろうからと。サジに掬ってふうふう冷ます、伏し目がちになった表情がまた、得も言われずの優しくて。
「…。」
「そうか、食うてくれるか。」
 それは嬉しいと、いい大人が屈託なくも笑って見せて。そちら様からこそ喜んでくれるのもまた、甘露な味つけ風味づけ。口許へそおと運ばれるひと匙ごとに、粥飯と同居する具が違う。白菜やニンジンという野菜の甘みとそれから、ほのかな塩味のもとだろう、一緒に煮込まれてあった白身魚の身がほろほろと柔らかくほどけていって。美味しいという感覚が、腹に届くとほわほわ暖かという感覚へ様変わりし、肩や背中までじんわりと暖めてくれて…心地がいい。無理はしない程度に腹を温め、それから薬を飲ませてもらい。よしよしと掛け布団の襟元なぞ整えてもらって、さて。

 「………降りぬのか?」

 食事と薬という用は済んだのだから、あとは寝るのの邪魔をせぬように、部屋から出てゆくと思ったのにね。勉強机用の椅子に腰掛け、だが、おややこれはギシギシとうるさいかなと、座り心地を見回す勘兵衛へ。ついついそんなお声をかければ、

 「何を言うておるか。」

 傍らにおらぬでは用があってもすぐには呼べぬだろうがと。至って真面目に言い返す壮年殿だったりし。そのくせ、うるさい椅子は見限って、一旦外へと出ていって。颯爽とした足音を追えば、サンルームへ入っての、そのままあっと言う間に戻ってくると、持って来た大きめのクッションを床へ敷き、そこへと座って胡座をかいた。

  ―― それとも、此処におると気になるか?

 眠れないなら確かに邪魔だ。それなら出てゆくがと、少しほど身を起こしてのベッドの縁へ腕を置き、こちらを覗き込んでくる彼へ、

  「〜〜〜。/////////

 ん〜んと、いかにも稚い所作にてかぶりを振って。出てかないでと、此処に居てと。もしかすると初めての、勘兵衛へのおねだりをした次男坊であったりし。雑炊で腹が暖まったからか、それとも薬が効いたせいだろか。そんな無邪気な素振りを見せてのそのまんま、重たげに瞼を伏せるとすうと眠りについてしまった彼だったのへ。

 “おやおや。”

 無防備なところが何とも愛らしいことよと、日頃毅然としているものが、そんなお顔をしてくれたことが…やはり嬉しくてしようがない壮年様。そのまま夕方になるまでを眠り続けた坊やの傍ら、ついつい片時も離れずに居続けてしまったそうでして。春めいて来たとはいえ、雨上がりの空気は冴え冴えしていてくせ者です。今度は勘兵衛様がお風邪を拾われぬよう、どうかご自愛下さいませね?






   〜Fine〜 08.3.10.


  *シチさんでさえ、
   何年も前に数えるほどしか食べたことがない勘兵衛様のお雑炊だそうで。
   あらあら羨ましいことと、
   すっかり良くなった久蔵殿の頬を撫でて差し上げながら、
   そりゃあ嬉しいお見舞いのお言葉を下さったおっ母様だったりしてvv
   こうまで仲がいいご家族には、
   風邪もインフルもなかなか居着かないってもんなんでしょうね。

  *ところで、シチさんのお出掛けって何だったのでしょね?
   HARUコミだったりしたら笑えますが、そりゃないか。
(苦笑)


めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv

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